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茶屋建築に求めてゆかねばならぬ

 

2014年9-10月 馬車道一帯/神奈川県横浜市

飯島剛哉、市川航也、遠藤麻衣、大澤美菜、岸井大輔、小宮麻吏奈、武久絵里、竹本真紀、たくみちゃん、福澤香織、村田沙樹

 人は珍しいものが好きだ。だから、変わったものに出会えるように異界との門をつくる。茶屋はそういう門の一つだ。

茶屋は、もともと、遠くにつながる道に仮設された休憩所だった。それが、遊女と過ごす色茶屋や、芸能空間のロビーである相撲茶屋や歌舞伎茶屋、墓地に建てられた小屋などを意味するようになる。日本人は他者を排除するといわれるが、考えの違うものといっしょにいることを楽しむ装置がいろいろあったのだ。そのひとつが茶屋である。

 茶屋は、昭和になくなってしまった。たとえば、明治の小説、鴎外や漱石には必ず茶屋や茶店が出てくる。哲学者で美學者の九鬼周造は日本美を「茶屋建築に求めてゆかねばならぬ」と書いた。茶屋は、日本人が、他者と接する作法が結集した空間であるといえるだろう。しかし、昭和以後の小説、たとえば志賀や芥川では使われなくなる。茶屋は絶滅しつつあるのだ。

最近、まちづくりやアートにおいて創られた場が増えているが、その割に、市民活動やアートが広まっているようにはみえない。むしろ、それらの場は茶屋の復興を狙っているのではないか。

 そこで茶屋という観点から、21世紀日本におけるさまざまなオルタナティヴスペースを再構築し、検討してみたいと思う。

出発点は開港都市とクリエイティヴシティを売りにする横浜馬車道。そこから、鑑賞者のみなさんには異界を求める旅人になっていただき、私たちが横浜のあちこちで見つけた、あるいは設定した、異界との境界をめぐってもらう。ひとつの茶屋をこえるとき、また次の異界との門である茶屋の情報が与えられる。平凡なアート拠点づくりや街づくり活動が、どこまでが日本的で、どのような自由が保障されているのか、意識的に追体験してもらいたいと思うのだ。

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